2011年3月12日土曜日

地震

2011年3月11日


午後3時頃であろうか?
この日は風邪気味で昼食後寝ていたのだが、不意に目が覚める。
すこし、めまいの様な感覚。
地震の予感。
間を置かずに横揺れが襲ってくる。
すぐにTVをつける。
NHKではすでに地震速報を流しているが、様子がおかしい。
報じているのは岩手での地震速報だった。
この間も揺れは治まるどころか、激しくなる一方。
遂には身の危険を感じるほどの大きな揺れに。
携帯だけを持って、部屋を飛び出す。
廊下に積んであった飲料品の段ボールが崩れている。
母はどこかに出かけているようだ。

玄関から外に出ると外の道路にはすでに避難した人の陰が。
スマートフォンのrajikoでラジオを聴く。

10分程後
マンションの踊り場で様子を見た後一度、部屋に戻る。
部屋の本棚が傾いている。
元々、歪んでいたのだが、今はそれが大きくS字型に形を変えていた。
楽器も、一本倒れている。
ヒップバックを取り出し、PCから取り外したバックアップ用の外付けHDDと簡単な工具、財布、時計、携帯の充電器、懐中電灯などを詰め込む。
倒れた楽器を戻し、ストッパーを掛ける。
ジーンズに履き替え、ジャンパーを着る。
大きな余震。
飲料品の段ボールと非常食を玄関近くに移し、家を出る。

多くの人が建物外に避難している。
目の前の駅から警報音。
一つ下の階の玄関から水が漏れている。
中からはガラスを片付ける音。

rajikoで状況を確認しながら避難してきた人たちと話をする。
数年前に脳卒中で倒れて以来、手足の不自由な方が居る家に声をかける。
問題は無いようだ。
散発的に襲ってくる余震。窓ガラスや電線が大きく揺れる。
電話は通じない。
自衛隊の物と思われる大型のプロペラ機が何度か上空を横切る。
消防、警察のヘリも飛んでいる。
rajikoからの情報で近くの製油所で火災の知らせ。
関東全域で停電、火災、断水が広がっているようだ。
線路を保線の係員が徒歩で点検している。

午後4時頃

1時間ほどたった。手もとの時計で午後四時。
徐々に避難していた人たちが部屋に戻って行く。

母が戻ってくる。
母は隣町のショッピングセンターに居たようだ。
歩いて帰ってきたと言う。

母と部屋の様子を視に戻る。
私の部屋は先ほどの本棚が崩れている。
埃が大きくまっている。
台所も物が崩れている。
rajikoでは石原都知事が会見を開いている。
とんちんかんなコメントを言い出し、アナウンサーが呆れている。
ブレーカーを切り再び外へ。

父や兄達の無事も確認できた。
徐々に日が暮れてくる。

午後5時頃

部屋に戻り、片付けを始める。本を取り出し本棚の破片をベランダにまとめる。
とりあえず、寝る場所を確保。
電源を復旧する。
TVでは各地の惨状を伝えている。
インターネットで友人達と連絡が取れる様になった。
みんな無事なようだ。

TVで状況を確認しながら、引き続きインターネットで友人達の状況を確認する。

午後9時頃

菓子パンで夕食を済ませる。

震源が岩手沖を中心に大きく拡散している。

午後11時頃

情報に大きな進展が無い。
ひとまず、就寝する事に。
手もとに避難道具を用意しておく。

夜半何度も余震で目が覚める。

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