2011年3月4日金曜日

なんか色々。屁理屈です。反論、批判は受け付けてません。スルー希望。

相撲や歌舞伎なんかの伝統芸能に問題定義されているのだと思う。
伝統に胡座をかいて閉鎖的で前時代的な文化になっている。

相撲は本来、神儀でありスポーツではない。
神に捧げる儀式として個人的な感情や欲が入ってしまってはいけない。

しかし、競技者もまた人である。
その上、所属する団体や組織に対するしがらみがある。
弟弟子達の面倒も見なければならない。
一般企業と変わらないのである。

日本の伝統文化として守り通すのであれば、国技として認可し競技者は公務員として保護して行く必要もあると思う。
その上で、興行収入を国家の収入として、競技者に分配して行けば良い。

海老蔵氏の事件も被告人が不良グループであったと言うだけで海老蔵氏が擁護されている部分がある。
海老蔵氏の当日の行動の問題点は無視できない。
記者会見をキャンセルし問題を起こしたのに謹慎だけでよいのであろうか?
名家の出身で伝統芸能の代表的人物であれば何をしてもかまわないのか?
責任ある立場として、このまま海老蔵の名を騙っても良い物か?

隠し子問題など見ると、まるでそれが美学であるかの様に振る舞う者まで居る。
認知しているから問題ないと言う事ではないのではないだろうか?

伝統芸能を生業とするので有れば、それを汚す行いをしてはならない。

その一方で若年層の犯罪に対する関心の持ち方も問題があると思う。

今回の『京都大学入学試験問題流出事件』についても被疑者の少年はあまり深く考えていなかったのではなかろうか?
それが犯罪に繋がると言う事に気がついていないと思うのである。

カンニングそのものを罰する法律は無いが不正を働いた事に対する厳重な処罰は必要である。
前例がなければ作れば良い。


現在の若者は物心ついた頃からインターネットに慣れ親しんでいる。
ネットに繋げばどんな情報でも手に入る。
その対象にどんな権利がかかっているかなど関係ないのである。
違法ダウンロードや動画共有サイト、共有ソフトなどは図書館やレンタル店、友人同士の貸し借りと同等なのである。

あまりにもインターネットに対するモラルが低い。
ネチケットなどと云うマナーは有っても、権利者に対するモラルは無いに等しい。

肖像権、著作権、出版権はインターネットによって往々にして侵害される傾向にある。
最近では【電子書籍を自炊する】ことが普及しつつ有るが、これでは著作物の権利の侵害を助長する動きといえる。

中国の権利侵害を声高に詠いながらネットの上では同じ事をしている。


中国は【財産を共有の物とする】共産主義国家である。
故に著作権と言う物に対して無頓着なのである。
しかし、それはあくまで中国国内に限定されるべき物であって、国際的には違法な行為である。
中国はいまだ発展途上国と言えるべき現状である。
表面上では先進国の仲間入りをしているが、全国民にそれが浸透している訳ではない。
文明に文化がついて行けてないのである。
中国が真の先進国として国際社会になる為には世界のルールを全国民に学ばせるべきである。
中国の若年層はインターネットを通じて世界を認識しだしている。

しかし、それはあくまで情報でしかない。


私の年代だとインターネットの黎明期を見てきた訳で、それに対する懐疑心が少なからずある。
その一方で、テレビや雑誌などの情報に対してあまりにも無防備であるのと同様に現代の若者はインターネットに対して無防備なのである。

近代の算数の授業などで電卓を使うのと同等に課題をインターネットで検索する。
それが当たり前の世の中になってしまった。

教育するべき立場の者が扱い方を知らず、教育方法を持っていないのである。
つまり、現代の多様化に年配者がついて行けていないのである。
インターネットやゲーム、アニメ、漫画など近代サブカルチャーが諸悪の根源とされるのは年配者と若者の意識の違いに過ぎない。
こういった物に傾向する若者は判断力がないなどと云うコメンテーターが居るが彼らもまた情報に左右されている。

現代のサブカルチャーが産まれる以前かからこういった傾向はあったはずである。
テレビの雑誌のランキングや情報番組の特集など、そこで紹介された事がすべてになっているのは私が幼い頃からすでにあった。

現実、非現実の区別がつかないと言う事については同じ事である。

情報はあくまで情報であり、それをどう扱うかはその人次第であり、その方法を考え教育するべきである。
与えられた情報をすべて正しいものとして認識してしまっては自由な発想は産まれない。

自由な発想が出来ない人は方程式を覚えるのが得意な人だと思う。

機材の組み方などを人に教える時に問題になるのがこの点である。

「この機材はここに繋ぐ」と教えてしまうとその繋ぎ方以外、出来なくなってしまう人が居るからだ。

現代の社会が方程式で成り立っている証拠である。
こうすれば、答えが手に入る。
そう教育されてきたのだ。

正しく物を学ぼうと思ったら構造や理屈などの基礎から学ばなければならない。

安易に答えを求める事は主義主張が無い事と同じである。

そう考えると、目的意識のハッキリしない人が実に多い。

例えば、スマートフォンはこの1年で急激に普及したが使い方が解らない、使いこなせない、よく解らないと言った人が多いが、そもそもスマートフォンで何がしたいのか決めずに導入した人がこういった状況に陥る事が多い。

便利な機械は使う人次第で悪にも善にもなる。
情報も扱う者次第である。

0 件のコメント:

コメントを投稿